生活感のない家

モデルルームや家具店のディスプレイを見ると、こんな生活素敵だなと悦に入ってしまう。
しかし我に返ると、こんな生活感のない部屋なんてありえないと思う。

もちろん、集客のために作られた空間だからである。

ゴミ箱やペットボトル箱ティッシュなど、すべて棚の中に入れられない生活の中ですぐ使うものが、モデルルームにはないから統一感が出ているのであって、実際はこうもいかない。

そういう生活雑貨もおしゃれなケースに入れるとか手を加えないといけないということだが、そこまで気を遣える人は本当にスゴいと思う。

突然人を招き入れることになっても、雑多なかんじがなく、更にはインテリアだけではなくご本人も上質な部屋着を着ているとなると、美意識が高い方なんだと感服する。
私もそのようにおしゃれな空間作りを目指しているつもりだが、思うようにいかない。

というのはきっと言い訳だということも分かっている。
パッと部屋を見回すと、色の合っていないクッションカバーなどが目についた。

こういった所から少しずつ少しずつ変えていこう。
積み重ねていけば、いつかきっとモデルルームのような部屋ができるはずだ。
しかし、モデルルームが住宅購入の動機付けのひとつとして機能しているのは間違いないようです。

ちなみにモデルルームは、後日、売れられる事になります。
経年劣化しますからね。
建物を解体して、購入者が所有する土地に立て直すのです。

中古扱いですから、何かとお得なんですよね。

家のCMを見て思うこと

家のCMというのは一体どうしてああも生活感を出さないのだろう。
揃いも揃って、ことごとくもののないモデルルームを使用している。
統一された色調、日常生活にあったら便利なものの何一つない部屋。

よく母親と、こんな家はありえない、といちいちに文句を言いながらそれらの奇妙なほどに整然とした家を見ている。
きっと押入れにものを目一杯詰め込んでいるのだろう。
収納スペースがさぞや充実しているはずであって、でなければ何もない家などありえない。
きっとクローゼットを開けたら無骨な洗濯機が出てくるはずである。
そんなことをあのCMの短い数十秒の間に、お互い色々言いながらみている。
その間、私達はその家が、本当にCMの為だけに用意された、まさにモデルルームであることを忘れている。
実に不思議である。
時々人間が、目に見えないものの中に、それと同時進行で水面下で行われているであろう実生活の存在を信じこむ純粋さを持っていることに驚く。
いや想像力の巧みさと言おうか。
どうして人間は、人のつくったものの中に真実を恣意的に見出すのであろうか。
わが身の事ながら、虚偽が真実であると、異と知りながら思い込むことの巧みさに驚くのである。
それだから小説やドラマや映画や、ある種虚構がこの世に存在するのである。
虚構だからこそ、人間の心理を露骨に描き出すということか。
逆に真実を目の前に突き出されると、かえって虚構と思ってしまう。
そんなある種現実逃避癖が、人間という種類にはあるのであろうか。
そんなことを、家のCMを見ながらいつも思っている。

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